今日も雑記を。
ハコヅメが終わる
まさかのハコヅメ第一部終了まであと1話。毎週木曜日の俺の楽しみがなくなる。
色々と伏線を回収していない状態での第一部終了なので、再開が待ち遠しすぎるのだ。まだ終わってもないのに。
作者の泰三子さん曰く「ハコヅメはいつまでも描ける」らしいので、俺がボケるまで描き続けてほしい。
黒田カナと一緒に写ってたのがただの彼氏ってのは驚いた。
川合巡査は学校長になることは確実で、島耕作みたいに「巡査部長川合麻衣」、「警部補川合麻衣」みたいな感じで連綿と続いていくと勝手に思っていたのでダメージがそれなりにある。勝手に思ってたのは俺だけなのかもしれないけど。
そしてハコヅメ終了のせいで俺の喫茶店通いも終了となる。毎月3,000円くらいは浮いてしまうので何か服を買おう。
服の寿命
妻と付き合う前か付き合った始め頃に買った服を未だに着ていると、「まだその服着てるの?」なんてことも言われたりする。
少し前にも同じようなことを考えているのだけど、2年経って再考。
それがあまりに見窄らしければよくないとは思うんだけど今でも個人的には破れるまで着ればいいと思うし、そっちの方が財布にも環境にも優しいと思う。SDGsを本気で推進するなら加工ジーンズなんかは最悪だと思う。服の寿命は縮めるわ環境は汚すわ加工してる人も薬剤なんかに触れるんだろうし。話が脱線した。
Tシャツが増えていくのは確かにあまりよくないのかもしれない。服を保管するにもスペースが必要だし、スペースはすなわちコストなのだ。分かってはいるんだけど、袖を通すだけで若かったあの時の気持ちが少し思い出せたりしてしまうものもあったりしてしまうのだ。
確かに満足する程度に着用すれば、その後のことはあまり考えずに捨ててもいいのかもしれない。でも女性モノと違って値段も高いし、流行に沿った尖ったデザインじゃなければ別にいつまでも着られると思っている。
ちなみにこんなのもあった。
なるほどなぁ、と思ったのは、年齢と嗜好のアンマッチがあるということだ。最高にかっこいいヴィンテージのTシャツなんかも、元々持ってたファッショニスタが「このTシャツかっこいいけどもう俺の年齢じゃ着ないな」みたいな感じで市場に流れていくのかもしれない。
誰か俺の思い出が詰まったフェローズのTシャツ達を大事に着てくれるのならば手放しても良いのかもしれない。
「モノより思い出」なんていう言葉もあるけど、「モノにも思い出」があるのだ。服着て写真に写るわけだし。つまり、俺が手放せないのは1枚のTシャツではなくて、思い出の詰まった1枚のTシャツなのだ。
よし、この理屈で妻を説得してみよう。
それでは今夜もこの辺で。