久しぶりに街に出た。
文字だらけの雑記なので、関心ない方は戻るボタンで。
街を歩く
普段片田舎に住んでいて、特別楽しいと思うこともないけど、特別暮らしにくいと思うこともない。
少し気になるアイテムがあったので久々に街中に出て駅前の洋服屋に行ってきたのだが、いつもと趣向を変えて、街の中を歩いてみた。コロナのせいで人は昔よりも少ないような気もした。
最近、といってもコロナが問題になる前くらいからだけどウィンドウショッピングもしなくなって、一人で買い物するとしたら目的のショップに寄って目的のアイテムを買って(若しくは目論みと違って買わずに)家にすぐに帰るという、新しい発見も面白味もない暮らし方をしていた。
自分から「何か面白い情報はないか」と思いながら暮らせていたうちはそれでも良かったのかもしれなかったけど、最近は気持ち的にくたびれちゃってそんな気にもなれてなかったのだ。
で、久々に街をゆっくり歩いてみて思ったのは、歩いているだけでいろんな情報が入ってくるということだ。
街の雰囲気に触れるのは大事
以前に都会から田舎に移り住んだ人で、「なぜか寂しい」という人がいた。その人は自分の意思ではなく田舎へと移り住んでいた。最初は「まぁ都会に比べたら静かだしやることも少ないかもなぁ」なんて思うくらいだったけど、今なら少しわかるような気がする。
人通りも少ないし、入ってくる情報が圧倒的に少ないのだ。
東京ももう1年近く行っていないけど、とてもたくさんの人がいるし、歩いているだけで広告なりなんなり、目から耳からいろんな情報が入ってきていることに気づいた。試供品だって大量に配っているし、InstagramやTwitterと連携した広報イベントなんかも頻繁に行われているのだと思う。Monster energyをお姉さんが配っていたのはもう意味がわからなかったのも強く覚えている。試飲どころの騒ぎじゃない。
そりゃそんなところから急に地方の、しかも片田舎に移り住んだら寂しくもなるよなぁ、と。
地方都市でもそこそこ人はいるし、活気もある。歩いていれば色んな人がいて、いろんな情報が入ってくる。
「ジーンズ道」をいく者としては、ジーンズを穿いている人を見ればどんな着こなしをしているかみてしまうし、かっこいいブーツを履いている人がいたらついつい見てしまう。
そういう情報は色んな意味で参考になっていると気づいた。もっというと、例えばファッション誌を読まなくてもいいのかもしれない。雑誌に出てくるおしゃれな方の、俺からすると「やり過ぎたコーデ」じゃなくて、「普段使いのコーデ」が、衣類に気を使う人から適当に着てる人まで色々見ることができる。
まぁ、実際その越してきた人がどういう思いでそういう気持ちになったのかはわからないのだが。
街に出たらもうちょっと
前述のように都市部に住んでる人は何もしなくても情報がインプットされてくるように思える。だけど地方、しかも田舎に住んでる俺は「情報収集するぞ!」という強い意志がないと、自宅でいろんな情報は集められないんだろうな。「偶然欲しい情報とぶつかる」という可能性が都会と比べて圧倒的に少ない、もしくはないと言っても過言ではないのかもしれない。
妻はInstagramを1日に数時間見ているような気がするけど、それはいろんな情報が飛び交っているからかもしれない。
テレビも見なくなったし雑誌も読まなくなっちゃった。そもそも本屋にもあまり行かなくなった。そんな状況だから、自分の身体で社会に触れるのが大事なんだろうな。
「どうせ何も買わないし食べないから街をうろついてもしょうがない」なんて言わずに、せっかく街に出たら少しうろうろしてみようと思ったのだった。